優秀賞受賞作品⑧
自分の本当の味方
                          大代 祥也
 私は一種二級の身体障がい者である。今回このコンクールをインターネットで見つけ、自分が過去に受けたいじめについて考えてみた。

 私は、小学校・中学校・高校と全く別のいじめを受けてきた。生まれつき身体が不自由なため、歩くスピードは遅い。小学校高学年の時には、下級生から歩き方を真似された。六年生の時、当時通っていたリハビリの先生が、道徳の授業の一環で来校した。車椅子の押し方や注意すること、そして私の身体の障がいについて分かりやすく説明してくれた。

 小学生がどれだけ理解できたかは分からないが、今振り返るととても貴重な機会だったと感じる。それでも、歩き方を真似する子は減らなかったと思う。真似される程度ならまだ良いと思えるほど、このようないじめは序章に過ぎなかった。

 私の地元は人数が少なくクラス替えが無かった。つまり、同じメンバーが揃って中学生になる。

 中学生になると、今度は自分の隣の席の子が机を離して距離を取るようになった。最初は机を離されていることに気づかなかった。毎日のように
「気持ち悪い」
と言われ、席替えをすると私の隣に来た子は決まって机を離す。まるで、私の隣の席が『ハズレくじ』のような噂が広まったこともあった。

 担任の先生にも相談したこともあった。しかし、

 「言いたい人は言わせておけばいい」
 「あまり気にするな」

という結論に至った。正直、納得はできなかった。
『自分はこの世からいなくなれば・・・』
と思ったことも何度もあった。学校の中の問題のため、家族の話し合いだけでは解決が難しかった。

 中学二年生の頃に足の手術が決まり、結局地元の学校を転校することになった。

 「手足が不自由でも、みんなと同じように勉強がしたい」

 中学三年生の進路相談の時、私はその思いで地元の高校への入学を決めた。入学前のオリエンテーションの日、帰りの玄関で早速いじめに遭った。私を見た彼らが、

 「お前、成績Gクラスでしょ?バイバイ、G君」

何を言われたのか、一瞬分からなかった。後になって、『障がい者=成績が悪い』という目で見られ、馬鹿にされたのだと気づいた。

時間が経つほどに、怒りが込みあがってきた。

障がい者は周りからいじめられるのが普通なのか。地元の高校を選んだのは間違いだったのか。何も悪くないのに、自分を責めてしまっていた。

 そんな私も、現在社会人になって九年目になっている。数回異動を経験しているうちに、もうこれだけの年数が経っていた。業務は一般事務を担当しているが、手足が不自由なために、学生時代の時には無かった苦労をする場面が増えてきている。文字を書くのに時間がかかる、車椅子で移動すると執務スペース上どうしても通れない場所があるなど、今まで考えてもいなかった壁に当たっている。

 振り返ってみると、私は毎日の生活に必死で『いじめを克服するため』に意識的に取り組んできたことはあまり無いのかもしれない。『これからの自分のため』『今以上に馬鹿にされないため』に壁を乗り越えてきたことはたくさんあったように思う。障がいがあるからと下に見られるのは悔しかったので、資格取得には積極的に取り組み、現在十二個の資格を持っている。

 コロナ禍が少し落ち着いている数年、最近になり、中学・高校時代の同じ肢体不自由の友達と会える機会が増えた。一緒に遊んだり、食事をしたりしている。同じ境遇だからこそ分かり合えることもあるし、お互いの障がいに触れることもない。余計な気遣いがいらず、とても居心地の良い空間である。

 『障害者差別解消法』が制定されてから十年が経過した。差別解消が進んでいくためにはお互いを理解する『相互理解』が不可欠であると私は考える。理解しあうためには、自分から周りに伝えていく『自己発信』が大切であると感じる。自分の本当の味方は、自分自身なのだから。


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